版画アラカルト
「版画」とはアーティストが版画を制作する目的で下絵を描き、版作りと刷り、最終チェックに至るまで、作家の監修によってできあがった作品をいいます。
版画工房によって複雑な技法を用いて制作され、数も限定されています。刷られた版画の一枚一枚を作家自身がチェックをして、完成品と認めた作品にのみ、サインと限定番号が入れられます。
しかし、一口に「版画」と言っても、今やリトグラフ、エッチング、シルクスクリーン、そしてジークレーなどと多様化し、現代版画にはさまざまな技法や用 語が存在します。ギャラリーユマニテで取り扱う「版画」について、解説を交えその技法と用語についてご紹介いたします。
セリグラフともいわれる孔版の代表的な技法です。木枠または金属の枠に絹、ナイロン、ステンレスなどのスクリーンを張り、その細かい布目を通し、スキージ と呼ばれる平らなゴムべらを使い、絵具を版の下にしいた紙に刷り込みます。複雑な色使いや、大きなサイズの作品の制作が可能であり、色の境界線がはっきり し鮮明で均一な仕上がりになります。また絵具を重厚な感じに盛り上げることができますが、ハーフトーン(ぼかし)を表現することができないので、メリハリ の利いた作品に向く技法です。鶴田一郎作「紫の想い」、中島千波作「般若院の枝垂桜」、フジ子・ヘミング作「鳥」など多くの作家がこの技法を用いています。
ドラクロワ作「青い夜」の制作段階
写真左が背景になる色、順に一色ずつ色をのせていきます。
細部にわたり繊細に、何工程もかけ完成に近づきます。作品によっては完成まで3ヶ月以上要す場合もあり、人手も時間も大変かかります。
ミッシェル・ドラクロワ「青い夜」
日本語では主に石版画と呼ばれる平版の版画です。石版(石灰石)上に、油性の強い墨、鉛筆、チョーク、クレヨンで作画して、その上にアラビアゴムの樹液の 粉末を溶解したアラビアゴム液に硝酸を加えたアラビアゴム液(弱酸性溶液)を塗ると、化学反応により、作画した部分にだけインクが付着します。版面水でぬ らした後に印刷用の油性インクローラーで転がすと、水と油の反発作用で、描いた部分にのみインクが付き、その他の部分は水分のためにインクははじかれる。 この上に紙をのせて、プレス機で圧力を加えれば、描画した作品が刷りとられます。リトグラフは、水と油の関係を生かした技法のため、細かく繊細な表現より も、描線がなじんだ趣のある表現を特長とし、現在では石版の他に、アルミ版や亜鉛版などでも代用されています。木版にない自然な表現を可能にし、まるでキャンバスに筆やクレヨンで描いたように、柔らかくデリケートでソフトな描画が出来ます。平山郁夫作「法起寺の月」、東山魁夷「山霊」、丁紹光「ペルシャの竪琴」などでこの技法が用いられています。
エッチングとは銅版をグランドと呼ばれる防触剤で一面にコーティングしたのち、ニードルで線描し、酸に浸して腐食させる技法です。ニードルで防食剤を剥が した部分だけが浸食され、それが版の凹部となり、最後に防食剤を洗い流して版が完成します。 腐食の時間を長くすると、より深い溝になってはっきりした線になり、短くすると淡い調子になるなど、工夫次第で複雑な描画ができるので、腐食の工程はけっ して単純な作業ではありません。 近年では薬液を用いない乾式エッチングも開発が進んでいます。アノラ・スペンス作「白い鳥に捧げる花」、フジ子・ヘミング作「Jeszenszky氏への手紙」などはこの技法が用いられています。
ジークレーはデジタル・リトグラフともいわれ、最新のコンピュータ技術を使った版画技法です。 ジークレーはフランス語で「インクの吹き付け」を意味し、リトグラフやシルクスリーンなどとは異なり、版は使用せず、最新のコンピュータ技術を使いダイレ クトにインクを版画紙に吹き付ける技法です。原画をコンピュータで解析し厳密に測定した上で、ミクロ粒子のジェット噴射を行い、色彩は7万色以上もの微妙 な発色が可能です。作画の精密さ色調の幅ともに従来の版画技法の限界を凌駕し、今日のテクノロジーの発展により実現された最新の技法で、色合い、質感、濃 度までも正確に表現でき、水彩、油彩、アクリル画といったオリジナル作品の あらゆるニュアンスをとらえることができます。また、水性のインクを使用するために 通常表面は乾燥した感じに仕上がり、見た感じはリトグラフに近い感じになりますが、 その上からシルクスクリーンで透明ニスをかける場合はシルクスクリーンの様な仕上がりになります。アイリス工房で制作されるジークレー版画はアイリスとも 呼ばれます。これからの版画表現の主流になることは間違いなく、多くのアメリカやヨーロッパの有名なアーティストがすでにこの技法で作品を多数発表してい ます。鶴田一郎「赤い月」、渡辺宏「風の吹く方へ」、ダグ・ハイド「Daisy Chain」などはこの技法が用いられています。
混合技法という意味で、以前は油絵の具と水彩絵の具の両方使用した作品のことを指す言葉でしたが、ラッセンの技法をミックスドメディアと呼ぶようになって からは、版画でもいくつかの技法を併用して制作した作品のことを呼ぶようになりました。ラッセンは写真製版された下絵にシルクスクリーンで加刷して、原画 の微妙なグラデーションや繊細な陰影、奥行きのある立体感を出しています。 またラッセンのミックスドメディアの技法としてはアータグラフとキャンバスエディションとラッセングラフがあります。
・アータグラフ: 紙ではなくキャンバスにミックスドメディアの技法で刷った物
・キャンバスエディション: アータグラフに1点1点、アクリル絵の具で手彩色した物
・ラッセングラフ: ボードにミックスドメディアの技法で刷り、1点1点手彩色した物
ミストグラフは、これまでの版画の石版や胴版が紙に表現してきた画像とは異なり、モニター上でイメージされた画像を極細の特殊インキを使い、専用の版画 紙に再現します。そのため「ぼかし」や「すかし」といった独特のニュアンスと質感が表現できます。ミストグラフによる水彩画とシルクスクリーンを融合させ たような素晴らしい表現は、次世代の版画技術として数多くのアーティストにその可能性を高く評価されています。また、仕上がったミストグラフの作品に上か ら直接手彩色を入れることで、一点一点の仕上がりにオリジナルの風合いが施され、複数芸術の版画に、よりオリジナル性が加わります。清水規作品、照沼光治「四季シリーズ」、磯野宏夫作品など。
版画作品のマージンと呼ばれる余白(磯野宏夫作品、ラッセン作品などは作品内)、左下に書かれている数字のことで、エディション・ナンバーと呼ばれます。 例えば3/50、分母の50はこの作品の全刷り数を示しています。つまり、この作品は1/50から50/50まで、全部で50点あります。なお、分子の番 号の多少と作品の価値は全く関係ありませんので、1/50だから良い作品だということはありません。また、エディション・ナンバーがなく、かわりにH.C やA.Pなどの表記がされている場合があります。
1、H.C(hors commerce)ーフ ランス語で“非売品”を意味します。元々は版画の販売の為の見本用として作られた物でしたが、現在では通常限定番号以外で、販売元が余分に販売できる版画 作品に付けられます。大体版画の通常 限定の3%から10%ぐらい作られます。つまり限定200部の作品ですと5枚くらいから20枚くらい制作され販売される版画です。
2、A.P/E.A(artist’s proof/epreuve d’artiste)ー共に“作家保存用”の意味です。現代では、作家が版元を通さずに直接、誰かに販売するために作られることもあるようです。一部の作家はそのAPやEAにも限定番号を記載して、限定部数を管理しています。
3、P.P(printer’s proof)ー 版画の刷り職人のための作品という意味です。元々は版画を作る工房の職人達の労をねぎらうために、版画の完成時にPPと記載して、その版画工房のメインの 職人に贈られたのがその発祥ですが、現在ではその版画工房の会社自体に渡され、その工房の実績を残すためや、版画の刷り代の補助として、刷り工房に渡され る版画を指します。ヒロ・ヤマガタなど、一部の作家はそのPPにも限定番号を記載して、限定部数を管理しています。
その他ではT.P/E.E(trial proof/eqreuve d’essai)と呼ばれる、試し刷りの作品に表記されるものがあります。必ず最終の版画とは色や構図などが若干違っており、その保存は作家がする場合と、版画の刷 り工房が保存する場合があります。
数字の表記 アラビア数字の場合とローマ数字の場合があります。
アラビア数字とは、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、50、100、500、1000という表記です。
ローマ数字では、I、II、III、IV、V、VI、VII、VIII、IX、X、L,C,D,Mと表記します。
Xは10、Lは50、Cは100、Dは500、Mは1000を表します。CXCIVとは C が100、 XCIV は94ですからこの二つを合わせて194と言うことです。まとまった数V(5)、X(10)、L(50)、C(100)の左側に書いた数字はそのまとまっ た数から引いた数がその数字となります。XCは90、VCは95、となります。また一般的にローマ数字の限定番号を持つ版画は、アラビア数字の限定番号の 版画も存在します。山形博導や笹倉鉄平では、アラビア数字の限定番号の版画をRegular Editionと呼び、ローマ数字の限定番号の版画をRoman Editionと呼びます。ほとんどの作品にその両方が出版されるようです。もちろん、アラビア表記のものと、ローマ表記のもので、価値の差異はありませ ん。