2013-08-19

Close-Up 鶴田一郎

  唯一無二の線を探し求める。あたかもそれは最初から定められていたかのような、微塵の迷いも感じさせない鋭さと、美とを定着 させる力を持った絶対なる線を。幾度となく描いては消し、その繰り返しの中からやがて求める線が朧気に見えてくる。しかし、限り無く近づいたと思えたその 一瞬後には、その線は突然揺らぎ始め、曖昧なる迷宮の方へと消え去ってしまう。

目、眉、唇、髪、指、全ての線がその揺らぎの中から出てくるのである。そして、その線が交わり、集まって一人の女性像が出来上がるのである。したがって、その女性像は確かに私自身が描いた女性ではあっても、私が創造した女性とは言えないのである。

私は、私にとってのミューズを描きたいと思っている。そしてできれば、その揺らぎの中の迷宮で私に力を与えてくれる存在 もミューズであって欲しいと願っている。たとえ、私の画く女性像が、私の心の中の脆弱なセンチメンタリズムや、青白い煩悩の炎から生まれたものであったと しても、ミューズの祝福を与えられれば、純粋へと昇華し、再び永遠なる真実の女生として生まれ変わる事ができるのだから。

 早いもので、幼い頃からの夢が叶い、絵を描くことを生業としてから、25年が過ぎようとしています。
自分だけの表現方法、オリジナリティを追い求め、模索を繰り返す中からやっと、現在のスタイル、自分なりの模式美を想像することができ、自分の絵の未来 の形が朧げながら見えてきて、美人画を描いていくことを一生の仕事にしようと心に決めた頃からも、20年以上の月日が経ちました。 一体、幾人の女性像を描いてきたのでしょう。
唯一無二の線を探し、余計なものをそぎ落とし、よりシンプルな表現へと向かっていった時代。逆に、憂いや揺らぎなど、より人間的な情緒感を付け加えて いった時代。私の心の移り変わりや、時代の流れとともに美人画の表現や、趣、描くこと自体の意味合いも変化してきたのだと思います。

私 は、私の描く女性像をミューズの化身だと思いながら描いています。これからも、ミューズたちは、姿や形を変え、いろいろな 女性像となって、私の前に現れてくれることでしょう。その為に唯一変わらないものがあるとすれば、一心に描くという行為を通しての真摯な祈りをミューズた ちへ捧げ続けることではないでしょうか。いつの日か、ミューズの祝福があらんことを願って。

鶴田一郎

画集「鶴田一郎美人画の世界<画業25周年の軌跡>」より

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