2013-08-19

Close-Up アリカワコウヘイ!

 「スポーツの世界に浸かっていたのに、突然アートの世界に入り込んだ。金もコネも専門知識もない僕が、どうやってこの世界で生きようか、他のアーティストの何倍も考えて努力しなければならないでしょ。だから、僕の毎日は一瞬一瞬が勝負。野球の世界と同じ」
“野球小僧が画家に転身”その登場以来、一気にブレイクしたアリカワコウヘイ!その人気の裏には様々な人々との出逢いがあった。人と人のきずなを大切にしながら、前に出ていくその積極性はチャンスを生かす原動力になったに違いない。  ブロックに色つけしようと試みたのがアートに触れた第一歩。ある日、サクラクレバスとの「運命の出逢い」を果たし、絵 画が趣味でなくなった。クレヨンの発色感、柔らかい質感、その配色は眩しいくらいに自由で開放的である。もともとPOPなものが好きだった彼は、堰を切っ たように描いた作品を近所の花屋さんに飾ってもらうように。それを目にしたカフェのオーナーのすすめで初の個展は大好評、訪れた某雑誌の編集者が本格的に 絵の道へ進むことを熱心に説得した。これが「第二の運命の出逢い」である。そしてプロ野球球団(ヤクルトスワローズ)の入団テストを目前に、散々悩み抜い た末、絵の道を選択する。初個展から約5年半。人から人へ、町から町へ、彼の作品が旅をするごとに人々の共感も広がった。「僕が考える“名画”というのは 人に幸せや元気を与えるもの。そうして人とアートの距離を縮める。そんな画家でありたい」
作品が誰かの目に触れるたび、ろうそくに火が灯るように、幸せの数がひとつ、またひとつと増えてゆく。いくつもの出逢いが連鎖して、彼の魔法が皆に笑顔を与える。
  研ぎすまされた感性で、似顔絵の輪郭をふち取ると、60色のクレヨンから一気に魂が吹き込まれて行く。青い髪に真っ赤なほっぺた、ピンクの鼻、緑やオレン ジの耳ー。大胆な色使いの仕上がりを見た人たちはみな、歓声を上げ、満足そうな笑みをたたえる。「I am happy!」クレパス画家であるアリカワコウヘイ!が「ハッピーポートレート」と名付けられたその似顔絵を描くときには必ず、この一言を添えている。赤 や黄色のポップな色彩を多用するのは、絵を見た人を元気にしたいから。「しんどい時でも、似顔絵を見てハッピーな時の自分を思い出してもらえたらいいな、 と思って描いている。絵を通して、しんどいことはすべて幸せにつながるっていう“ALL FOR HAPPY”ってメッセージを送っている」
作品の源は“花の色彩”だという。一心不乱にクレヨンを走らせる、「幸せになって」の想いを込めて。「似顔絵は、僕の絵の一部の側面なんです。でもそれ がきっかけになって、アートの世界に興味をもってもらえる、そんな架け橋になれたらいいなと思っているんです。」※似顔絵や作品には必ず「HAPPY CLOVER 528」の文字。「528」は自身の誕生日の5月28日が由来。
  2006年7月2日より、沖縄で新しいコミュニティバス(那覇バス)が運行を開始した。その名も、にこにこ号(赤)、ぽかぽか号(黄)、レッツ号 (緑)!デザインはもちろんアリカワコウヘイ!3色デザインのバスが走る路線は「新都心循環線」大人運賃百円で、沖縄都市モノレールのおもろまち駅前広場 を起終点に新都心地区を一周する。

  琉球泡盛「島思い(しまうむい)」がアサヒビールより新発売!そのラベルデザインを担当したのがアリカワコウヘイ!なつかしい沖縄と、新しい沖縄が一体化 した「ラベルデザイン」は斬新な発想でつくられ、島の素晴らしさを表現するため、沖縄らしい色を使って、海・空・月など沖縄の自然を鮮やかなテイストで描 かれた。「僕のアート活動は、沖縄で生きているからこそ。だから“島思い”は、人生のテーマでもある。僕の描いた沖縄の熱い月。このラベルで、多くの人た ちの心をハッピーにしたい」アリカワコウヘイ!のラベルで南の島、沖縄に思いを馳せる。

 ハッピーをテーマに精力的に活動の幅を広げてきたアリカワコウヘイ!しかしそんな彼にも「しんどい」時期があったという。
小さいころは実の父親から虐待を受けて育ち、いつもおびえた目をしていたためか、学校では陰湿ないじめに遭う。両親の離婚と阪神大震災を経て、姉の嫁ぎ先の沖縄に母と移り住んだのは高校1年の時のことだった。
沖縄で明るさを取り戻し、野球はプロテストを勧められるほどの腕前になった。ようやく人並みに平穏な生活を送れるようになった大学3年の時、知人の借金 を肩代わりすることになったり、身内が自殺未遂を起こしたりした。「これでもかってくらいに嫌なことが重なって、生きるか死ぬかどうしようかと毎日考え た。オレの人生終わったかな、と思った」
絵を描くようになったのは、それからしばらくたってからのことだ。無気力にベランダに座っていたら、隅に積んであったブロックが目に留まった。なんとな く色を塗ったら、無機質なブロックが生まれ変わった。「色の力ってスゴイなってちょっと感動した。それで、絵でも描いてみようかという気になった」
現実がつらすぎたから、描くのは明るい、楽しい絵だけと決めた。絵の具は準備が面倒だからすぐに使うのをやめ、クレヨンにした。クレヨンならいつでも気軽に描けるし、途中で手を止めて、また描き始めることもできる。
活躍の場が沖縄から全国へと広がった今、個展を開けば作品は完売、ハッピーポートレートは1ヶ月に100枚描いても追いつかない。「おいしいものをおい しいと分かるには、まずいものを食べた経験が必要。もともとハッピーな人には、ハッピーな絵は描けない。これまでの苦労とか、つらい出来事は、遠くに飛ぶ ための助走だったと今は思える」
アートとは無縁だった自分が、たったの4年でここまでやってきた。そのことがハッピー。誰かが自分の作品を待っている。それもまたハッピー。<AERA 06.6.19号>
関連記事