2013-08-19

Close-Up ミッシェル・ドラクロワ

 ミッシェル・ドラクロワはパリに生まれ、パリをこよなく愛する画家である。アメリカにも何度となく行き住居も構えるが、やはりゆったりと息づくのは彼のモチーフにもなっている「光の都」パリの街なのだ。その作品のインスピレーションの源泉でもある、彼の少年時代の記憶。当時は第二次世界大戦のまっただ中、両親とともにパリに 住んでいたドラクロワ少年の目に映ったものは意外にも自由な世界だった。煙突が突き出たアパルトマンや小さなカフェ、街路樹、ガス燈のある風景は、大戦時 代のパリの姿そのもの。自家用自動車はほとんど見られず、クラクションの騒音も聞こえない。時の流れがきわめてのんびりしており、自転車や四輪の馬車で仕 事をする、そんな古き良き時代に彼は郷愁を覚える。

「少年時代の思い出は私にとって大変貴重なものです。夕方になるとテレビを見る代わりに日没を眺めに出かけるといった様な思い 出で、素朴な物事は我々の心をうつろわせることなく、豊かにしてくれます。自宅から学校に通う時、私は自分の回りを見回して、思い出を一生懸命詰め込みま した。いろいろな印象、特に建物の看板や落書きなどを取り入れました。私の作品は、こういった思い出から成り立っているのです。ーミッシェル・ドラクロ ワ」

 彼の作品の多くに登場するセーラー服の少年の姿(前向きか、横の通りに隠れていたり、窓から外を眺めたりしている)は彼自身の姿であり、自分の描く作品の中に彼自身もまた住みたいと切望する。  もの静かで内気なドラクロワは、いったんアトリエにこもるや、全神経をキャンバスに集中する。キャンバスに向かうとき、頭の中にまだアイデアは何もない。 ただ、パリの街角や大通りを人々が歩いている姿を想像する。すると、ぼんやりしたものが浮かんできて、しだいに形となって現れ、そしてようやく描き始め る。フランスを印象派の入り口へと導いた、ジャン=バティスト=カミーユ・コロー(1796~1875)を師と仰ぐドラクロワ。 その鮮明な色彩、風景の叙情性など、描き方に違いはあるにせよ、実際彼の作風に多大な影響を与えたのは間違いない。完璧なテクニック、遠近法、彩色技法は 優れている、にもかかわらず素朴な印象を与えるのは、やはり彼個人の私的な想いが、その作品に描かれるからなのかもしれない。
  国は異なっても、人間のこころの深いところでは、みな幸福を求め、良き人生を追求したいという想い がある。これだけは少なくとも共通しているはず。古き良きパリを色彩にのせ、現代人の幸福願望を描き続けるドラクロワ。彼の絵は風景画に似ているが、厳密 に言えば風景画ではない。彼の描く街は幸福感で満たされ、永遠に過ぎ去った時代をその絵の中に再発見する。それは人々の生活がもっと生き生きしていた時代 であり、人生の楽しさを謳歌していたことが見てとれる。その調和のとれた情景の中に、いつか見たような光景でも見ているかのように引き込まれてしまう。親愛なる皆様へあわただしい日々の生活の中でも世界的に共通することは、
各自の周囲に対しての思いやりの大切さです。私は幼いころの母国フランスを選んで描いていますが、日本のみなさんも周囲に対しての思いやりの大切さを私の絵の中から感じとって下さると思います。ミッシェル・ドラクロワ

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