2013-08-19

Close-Up フジ子・ヘミング

フジ子・ヘミング(本名:イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング )1932年12月5日ベルリン生まれ。東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト、大月投網子とロシア系スェーデン人画家/建築家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングとの間に長女として生まれる。

5 歳の時、ベルリンより帰国。以来母の手ひとつで東京に育ち、母投網子の手ほどきでピアノを始める。また10歳から、父の友人 だったロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏に師事。幼少のころより天才ピアニストとして周囲から注目され、以後芸大在学時を含 め、長年にわたりクロイツアー氏の薫陶を受ける。

青山学院高等部在学中、17歳でデビュー・コンサートを果たす。また、東京芸大在学中には、毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞。

東京芸大卒業後より、本格的な演奏活動に入り、渡辺暁雄指揮による日本フィルなど、数多くの国内オーケストラと共演。たまたま来日中だったサンソン・フランソワは、日比谷でのフジ子のショパン及びリストの演奏を聴き絶賛したという。

そ の後29歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長年にわたりヨーロッパに在住し演奏家としてのキャ リアを積むも、生活面では母からの僅かな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変貧しく苦しい状況が続いた。その間、ウィーンでは後見人でもあった パウル・バドゥーラ=スコダに師事。

今世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる、ブルーノ・マデルナにウイーンで才能を認められ、彼の ソリストとして契約したこ とは、フジ子が最も誇りにしていることのひとつである。ちなみに、この契約に際しては、フジ子の演奏に感銘を受けたレナード・バーンスタインからの支持、 及び援助があった。

しかし“一流の証”となるはずのリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われる。既に 16歳の 頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたが、この時、左耳の聴力までも失ってしまう。耳の病のため演奏家のキャリアを一時中断せざるを得ず、失意の 中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。現在は左耳の聴 力のみ約40%回復している。

母投網子の死後、1995年、日本に帰国。 母校である東京芸大の旧奏楽堂などでコンサート活動を行う。1999 年2月11日、NHKのドキュメント番組、ETV特集『フジ子~あるピアニストの軌跡~』が放送される。番組は大反響 を巻き起こし、NHKには2000通を超える投書が寄せられたという。この番組の放送はわずか3ヶ月の間に再放送を含め3回、その後「フジ子 ふたたび~コンサートin奏楽堂~」も放送され、さらなる反響を呼んだ。

1999年8月25日に発売されたファーストCD『奇蹟のカンパネラ』は発売後3ヶ月で30万枚を売り上げるという、クラシック界異例の大ヒットを記録し第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

や がて1999年10月15日の東京オペラシティ大ホールでの復活リサイタルを皮切りに本格的な音楽活動を再開し、国内外で大 活躍することとなる。また、今販売されているCDは、クラシックの世界で売り上げもトップを独走し続けており、その演奏スタイルは「リストとショパンを弾 くために生まれたピアニスト」と評される。本人が最も得意とする曲、リストの「ラ・カンパネラ」は最も技巧を必要とする高難度な曲とされるが、正確で完璧 な演奏を嫌うフジ子は、譜面に忠実でない独特のリズムで繊細かつ情熱的、情味たっぷりに演奏する。苦難の人生を生き抜いてきた真実味が滲み出ているような 血の通ったその音色は「魂のピアニスト」と評される所以である。

フジ子・ヘミングの描く作品には、しばしば彼女の大事にしている思い出の品々が登場する。作品「ガラスのコップ」 もその一つ。母からもらった鮮やかなオレンジストライプのマドラスグラス、さりげなくストンとした形で、ミルクを入れても、ただの水を入れても美しい、と 語るそのグラスは、29歳で日本を離れて以来、彼女が宝物の一つとして大事にしているもの。「物には魂がやどるのかもしれないし、これが愛着というものな のかもしれませんけれど…。」口の少し欠けてしまったそのグラスは、糊で張り合わせられたまま、いまも大事に使われている。フジ子・ヘミングの趣味は絵のほかに、縫い物、読書、バレエ鑑賞、映画鑑賞、水泳。好きな画家は、ロートレック、モディリアーニ、ゴッホ、北斎、歌麿など。猫とタバコをこよなく愛し、普段は膝の上に猫をのせ、タバコを吸いながらピアノを弾いている。

現 在、公演活動で多忙を極める中でも、盲導犬協会への演奏料全額寄付や、アフガニスタン難民のためにコンサートの出演料を寄 付、さらには2002年米国同時多発テロ後の被災者救済のために1年間CDの印税を全額寄付するなど、人を愛し人を支援し続ける事を忘れないのも彼女の人 間味溢れる魅力のひとつで、その優しさは猫や犬をはじめ動物愛護への深い関心と援助を長年続けていることにも現れている。

「要求するばかりじゃなく、その人に愛をあげるのが本当の愛。自分の損得を考えずに人に捧げられるようになったら、素晴らしいことよね。」

 

 

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