Close-Up 金丸悠児
そもそも動物シリーズを描きはじめたきっかけは僕自身が絵を描くことにおいて抱えていた問題にあった。僕は複雑で美しいどうやって作ったかわからないよう なマチエールに強い興味を持っており、それと同時にものを写実的に描くことが好きだった。だから描く絵はだいたい手の込んだマチエールのうえに普通に描写 したものが多く、その結果描いてあるモチーフと背景のマチエールが分離してしまい、統一感がないということをよく指摘されていた。そこで実験的に対象物を 写実的に描写するのではなく、マチエールをもちいてデフォルメしたフォルムで描いてみたところ、絵としての統一感が出て、わりとうまくまとまったのであ る。技法的な面では今言ったようなことなのだが、デフォルメすることに対しては自分なりの解釈が一応ある。 人間が動物と接するとき、たとえば ペットを飼ったり動物園に行ったりするとき、私たちは無意識のうちに動物達を擬人化し接し ていると思うのである。例をあげると犬は落ち着きがなかったり、猫は甘えん坊、亀はのんびり屋だったりと人間は動物の外見から性格や性質などをそんな自分 たちのイメージで決めつけていることが結構多い。漫画や童話などがその典型である。僕はそれが悪いと言っているのではなく、むしろそれが動物と接する上で とても大切なことだとさえ思うのだ。僕自身も動物は好きなほうで、動物が人間らしいしぐさをしたりするのを見ると、愛嬌を感じかわいいと思ったりする。そ んな動物に人間的な一面を感じるからこそ、ひとは動物に対して愛情を育むことができるのではないだろうか。僕はそんな動物の人間らしい 一面を絵によって表現できないかと考えている。擬人化しユーモラスに描くことによって、どこか愛 らしく思えたり、滑稽に思えたり、身近に感じることができるのではないだろうか。たとえそれが人間のエゴであったとしても、それが人間が動物との絆を結ぶ 数少ない手段なのだから。 金丸悠児 |
一般的な“動物画”“植物画”とは一線を隔した可笑しさと、奇妙だが心地のよい調和が金丸悠児の絵画には漂っている。彼の絵画の中の生き物たちには実にさ まざまな色が用いられており、ピンク、水色などをちりばめた特異な彩りに思わず目を惹きつけられる。各々に印象的な色でありながらも、一色だけが突出して 誇張されることはなく、実に調和のとれた色彩を形作っている。またフォルムは大胆にデフォルメして描かれ、ディテールは幾何学的(と言っていいだろう)な 模様を施されている。大胆にも、あるいはいびつにも感じられるそういった描写が、見れば見るほどに生き物たちをユーモラスで愛らしい姿に変えていく。さら に特筆すべきは、アクリル絵の具、岩絵の具、コラージュなど、多彩な素材を用いることによって生み出された、重厚な絵肌の質感である。その独特のマチエー ルはあるときは背景として生き物を引き立たせるように、あるときは背景が生き物を包み込むように、あるときは双方が溶け合うように、柔軟に形を変え金丸悠 児の絵画に息づいている。 |
街シリーズについてですが、以前50号くらいの作品に亀を描いたことがありました。亀が天と地を支えている構図です。その地上の部分に初めて街を描いたら、気に入っちゃって。「この部分だけ切り取って絵にしても面白いかも」と思ったのが街シリーズの始まりです。 かといって、街に対して特別な哲学があるわけではありません。どの作品にも共通しますが、過去の体験だとか、幼い頃に目にした情報であるとかが影響して いるのではないかと思います。例えば、少年期に触れたアニメやテレビゲーム、そんなものも現れている気がします。 例えば、街シリーズは横スクロールのゲーム画面に通じているかもしれません。動物シリーズではよく魚が泳いでいますが、同世代の中には、これがシュー ティングゲームのキャラクターに思えるひともいるんです。街の風景を俯瞰するようなシリーズでは、それを評して「ドラゴンクエストみたい」といったひとも いました。必ずしも僕が狙って意識したものではないのですが、結果的に浮かび上がっているのでしょう。色彩感覚も、自分は学生時分に培ったつもりでいます けど、ひょっとしたら当時の影響があるのかもしれませんね。 小学2~5年生の間、父の仕事の関係でアメリカに住んでいました。その頃は、言葉が うまく通じないものですから、マンガを読 んだりファミコンをやったり。あと動物が好きだったので、日本に帰ってからは熱帯魚を飼ったり小動物を飼ったり。サボテンはアメリカにいた当時、アリゾナ に家族旅行に行った時の記憶ですね。基本的には過去の体験が、僕の表現行動の支柱になっていますね。 よく、和の世界とか、花鳥風月とかいわゆる日本のアイデンティティーを大切にしなくちゃいけないという風潮があったりしますが、僕は少年時代に海外生活 の経験があるせいか、そこに正面から向かうことができないように思うんです。僕が描く世界は、基本的に季節感がなく、どの時間帯でもない、時間が止まった ような絵。生命の起源とか、自分がどこからきたのかといった、普遍的な要素を描きたいんです。シーラカンスやアロワナなどの古代魚や亀などの時間を司るよ うな神秘的な動物をよく描くのは、そこに魅力を感じるからです。「この魚は何億年も前から地球上で生きてきたんだな」と考えると興味は尽きないですね。 金丸悠児 |